漁村と都会の高齢者との「結(ゆい)」構想のきっかけ(体験談)

結(ゆい)プロジェクト元事務局長 故佐藤力生
(以下の文書は平成27年7月に書いたものです)

• 都会の元気な高齢者を漁村で活用できないか
私が水産庁を定年退職後三重県に来て3年、はじめは陸の孤島のような熊野市甫母(ほぼ)町に住んだとはいえ、あくまで本土。次に住んだ鳥羽市安楽島(あらしま)町も名前には島が付いたがこれも本土にあり、多くのホテルが建つ観光地。そうして3度目は、ついに一度は経験してみたかった離島の鳥羽市答志(とうし)町に住むことになりました。

漁村に住むきっかけは、とにかく漁業現場というものを一度経験してみたい、沿岸漁業や養殖業の手伝いをしてみたいでした。しかし、やはり本物の漁師の仕事を間近に見ると、私のような素人が本当の意味で役に立つには限界があります。しかし、漁業や養殖業の一連の仕事には、相当の経験を要する高度な仕事もある一方で、素人でもある程度の訓練をすれば十分役に立つ簡単な仕事もあることがわかりました。特に、忙しい時に簡単な仕事だけでも手伝ってもらうと漁業者にとつて大変ありがたいのです。

そこで、これまでは、とにかく現場で働くことを目標にしてきましたが、今後はこれまでの経験も活かし、私のような都会で定年退職し、特に仕事につかず年金生活に入る高齢者(漁業現場感覚では60歳代は完全に現役で、元気なら70歳代でも)を男女を問わず、どうすれば漁業現場で活用できるか、その仕組みつくり「結(ゆい)構想)」をテーマとしてみたいと考えるようになりました。
結(ゆい)とは
主に小さな集落や自治単位における共同作業の制度である。一人で行うには多大な費用と期間、そして労力が必要な作業を、集落の住民総出で助け合い、協力し合う相互扶助の精神で成り立っている。(ウィキペディアより)

•そんな「もの好き」はいるのか
私が漁業者や漁業系統団体の方々に、無報酬を前提に都会の元気な高齢者を漁業に活用する構想を話すと、必ず「そんなもの好きがいるわけない」「あなたは変わり者だから例外」という回答が返ってきます。たしかに、一般的に見ればその通りかもしれません。どこの漁村に行っても「いったいあなたは何しに来たの?」というように怪訝な感じで見られることがほとんどでした。
また、この話をすると、今行政が積極的に取り組んでいる都会の若者を対象にした就業活動としてのIターンやUターンのことと受け止められることが多く、それとどこが違うのか、なぜ無報酬なのか、なぜ高齢者に限定するのか、など疑問に思われることがあります。
特に皆さんが指摘するのは、「無報酬」では誰も来ない、あなたは公務員だったから退職金と年金でやっていけるかもしれないが、多くの人は退職後も生活のために働いて得る金が必要。「お金を出さないと現実性がない」と言われます。しかし、私は逆に「報酬を支払う方式こそ現実性がない」と思うのです。これがこの構想の最大の特徴であり、おっしゃる通りその限界でもありましょう。しかし、ここが私の強いこだわりなのです。

•「お金」とは「価値」を手に入れる手段ではないか
「報酬」すなわち「お金」とは、生きていくため、楽しみを得るために、他人から「もの」や「サービス」を提供してもらう約束状のようなものであり、それ自体は単なる紙切れで価値はありません。もちろん生活していくために必要な食料を買ったり、水道・光熱費や税金などを払うためのお金は必要です。しかし、その最低限のお金にさえ困っているという高齢者は限られると思います。
むしろ、多くの高齢者は、老後を快適に生きるために使う金の方が多いのではないでしょうか。さらに言えば「老人の孤独死」などの社会問題を見ると、たとえお金があったとしても解決できないものも多いと思います。それでは「老後を快適に生きる」ためには何が必要なのでしょうか。それはそれぞれの人にとっての「生きがい」、言い換えれば「価値」を見出せる生き方ができるかどうか、にかかっているのではないかと思います。つまり、「価値」を提供できれば「報酬」を提供できなくとも、都会の高齢者は漁業の手伝いをしてくれると思うのです。甘いでしょうか。

•「価値」とは発見する(感じる)ものではないか
 では、漁業や漁村が都会の高齢者にどのような価値を提供できるのでしょうか。残念ですが、だれもが認める「これは絶対いい」というものはないと思います。価値とは「発見してもらう」「感じてもらう」ものであり、それ向けに創造できるようなものではないと思います。その理由を二つ挙げます。

私が、漁業・漁村の現場において感じた価値あるものとは、ただそこにあるもの又は行為そのものであり、それは意図して創造されるようなものではないと思うからです。
「価値」とは、語源をチェックすると人偏(にんべん)がついているように、人がモノ、サービス、思考などに付ける「あたい」「ねうち」であって、人によって異なる相対的なものと思うから。身近な例でいえば「猫に小判」「豚に真珠」「新自由主義者に道徳」などです。
よって、私としては、漁業・漁村にある物事を、様々な人に経験してもらい、そこに従来認識していなかった「ねうち」を発見してもらう(感じてもらう)ための「機会の提案」が私の構想ではないかと考えています。そもそも生理的に田舎暮らしを忌避する人もいるので、万人向けではない、そこは割り切っていくべきと思います。

•私が感じた漁業・漁村の3つの価値
私が、この構想を都会の高齢者に提案しようとする理由は簡単。私自身がそこに、価値を感じたからです。その「価値」は大きく3つに分けられると思います。
①漁村に「住む」ことで得られる安心感 

これは、理屈で説明できないものであり、まさに感じてもらうしかないものですが、その代表が都会生活ではなかなか味わえない「安心感」です。以下キーワードを挙げながら簡単に紹介します。

ア 歴史、八百万の神、祭り
 とにかく小さいながらも多くの行事があります。海の神や山の神に始まり、いろいろな神様をまつる行事です。都会生活者から見ると「面倒なこと」「大変ですね」とも受け止められますが、その反面、長い歴史の流れにある今が感じられる貴重な体験です。

イ 自然、陰陽、強弱、移ろい、生き物
なんといっても、海と山に囲まれた自然に住むことそれ自体の価値です。そこには、自然の持つ大きさ、気ままさ、激しさ、穏やかさなどがあり、人間の小ささを感じ、謙虚さというものが自然についてくる気がします。科学的根拠はありませんが、特に私が海に出て感じるのは、膨大な量の海水からくる「気」(いわゆる「気功」の気です)があるのか、それだけでも心がやすらぐ感じがします。畑の作物を荒らしまわる困りものですが、動物園に行かなくても身近に猿や鹿に出会えます。

ウ 古い空き家で昭和を味わう
新自由主義者は、経済成長を否定する者に対しそれは幻想だ、昭和30年代の庶民生活を描いた漫画「三丁目の夕日」のような生活にあこがれても、一端便利な生活になじんだ人間には耐えられないと脅します。本当にそうなのか、私は自分自身で実験してみました。熊野の古い空家は、エアコンも壊れ、ハエや蚊はもちろん大きなクモやムカデが入ってくる隙間だらけで、便所も汲み取り式のポッチャン。でも2週間もたてば不便さに慣れました。

また、車で片道30分以上かかる週一の買物では、はじめは都会に比べずいぶん小さなスーパーマーケットだなーと感じましたが、そのうちだんだんとそれが大きく見え始め「ワー、商品が一杯並んでいる」と買物自体が楽しみになるのです。都会生活は便利すぎて、モノが多すぎ、間違いなく成長中毒にかかっています。今のようなモノにあふれた都会生活では逆に満足感は得られないのでは。これから脱却するには、不便な生活も経験してみることです。病気になって初めてわかる日ごろの何でもない健康の有難さと同じです。昭和を味わうのもそれなりに楽しいものです。

エ 村人
そこに住む村の人々の生活ぶり、それを見ているだけでも落ち着きというものが湧いてきます。なんといっても、コセコセしていないゆったりとした生活ぶりです。道路側に面した縁台に腰かけ、前を通る人とお喋りを楽しんでいるおばあさんなどを見ると、時間がゆっくり進んでいるように見えます。何より、人と人とのつながりが深く、孤独感というものとは縁遠い社会は、都会生活ではなかなか得られないものです。

オ 経済的危機に強い
半農半漁とはこれほど強いものかと思います。調味料などは店で買っても食材はほとんど自給自足です。それに加え村人の間での物々交換もあります。それも単純な相互交換だけではなく、他の人からもらったものをさらに「おすそ分け」する2次的交換もあり、網目のように張り巡らされた物々交換の広がりには感心します。それゆえに生活費が安いためでしょうか、生活保護を受けている人を聞きませんでした。今のような経済施策を行っていると間違いなく訪れるであろう経済危機・食糧不足においても、漁村に住む人だけは生き延びることができる、そう思わざるを得ません。

②「食べる」を通じた本能欲の充足

川端康成や三島由紀夫が絶賛した、東京オリンピックのマラソン銅メダリスト円谷幸吉選手の遺書があります。そこには、家族たちへの感謝と相手ごと食べものごとに「美味しゆうございました」が繰り返されます。私はそれを読むたびに、人間の持つ食べ物への本能というか、「美味しいものを食べること」それこそが、人間が生きているあかしであるような気がします。

そういう点でも、漁村に住む価値を一つだけ挙げよと言われたら、迷いなく「美味しい魚が食べられる」です。その感動を羅列すると
・今まで自分が食べていた同じ魚、加工品でも次元の違う味に驚き
  ・珍しい魚
・食べ方に出会う楽しみ
・自分が手伝った魚(キズ魚が多い)を食べる時の役得感・優越感
・食という、飽きが来ない本能欲の日々の満足感

などです。私は単身ですからいつも食事は一人ですが、鮮度抜群の美味しい魚を食べるときには、本当に漁村に住んで良かったと思います。離れて住む家族にも食べさせてあげたいと思いますが、これだけは現場でしか味わえません。

③漁業・加工の手伝いで働くことの充実感

ア 漁業の仕事自体が、通常経験できない面白さ
農業に興味のある方は家庭菜園でそれに近い感覚は味わえます。しかし、漁業では釣り程度であり、本格的な漁業はお金もかかり許可制下にあることから一般の方が経験することはありません。私は、その本格的漁業の体験ができましたが、不思議なことに毎日同じ作業の繰り返しでも、まったく飽きが来ることがありませんでした。それは、同じことの繰り返しでも、自然が毎日変動しており、結果がその日ごとに違うためでした。

 なんといっても漁業は狩猟産業です。人間の持つ狩猟本能が刺激されるのでしょうか、今日がダメでも明日は絶対獲るぞという気持ちや、大漁の時のあの心臓が高鳴る感じは、おそらく計画的な生産下にあるほかの産業では味わえない醍醐味と思います。

漁場への行き返りも遠くの水平線に目をやったり、近くの岩礁で砕ける波を見たりで、自然の中で働くのは、これも楽しいものでした。また、陸上で網から魚を外したり、カキを剥く作業は、沖の仕事より地味ですが、生き物を相手にしているためでしょうか、なかなか飽きが来ないものでした。それとなんといってもカキ剥きの途中でのつまみ食いが絶品で役得でした。

 このように、漁業の仕事はそれで生活の糧を稼がなければならない漁業者にとっては、そんな感情を持つ暇はないでしょうが、素人の私には、労苦よりも、面白さが上回るものと受け止められました。 

イ 素人でも十分役立つ充実感
現場で一番感動したのは、熊野で見たあるお婆さんの働く姿でした。その方は押し車につかまらないと歩けないほど体が弱っていましたが、定置網から上がってくる魚の選別作業を毎日座ったままで行っていました。そして、なんと亡くなるその日の朝までその作業を手伝ったと聞きました。この例に象徴されるように、漁業の現場ではその人の能力に応じ役立つ、多様な仕事があります。
 また、80歳近い老夫婦が、真夜中に凍えた手をたき火で温めながら、エビ網にかかったゴミを外している姿を見て、もう十分働いただろうから、ゆっくり休めばよいのにと何度も思いましたが、むしろ「働くことが生きている喜び」のような気がしてきました。

 それまで私は、理想の老後の過ごし方とは、有名レストランで美味しいものを食べたり、旅行に行ったり、余りある時間を趣味など自分のために使うことと思っていました。それはそれで一つの生き方と思います。しかし、漁村で働く高齢者を見て、より充実した老後の過ごし方とは、老後という概念そのものがない「死ぬまで働くこと」ではないかと大きく考え方が変わりました。

高齢になってもその能力に応じ働くことを通じ「人の役に立つこと」、これこそが人間が幸せを感じるための最高の道であり、それによりさらに大きな老後の充実感が得られる。そう考えるようになると、急に定年後に仕事のない都会の高齢者が、かわいそうに思えるようになってまいりました。昔話のように「おじいさんは山に柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」を再現しよう。これが「構想」を何とか実現したいと思う大きな動機の一つです。

ウ 健康で自立
 統計で確認したわけではありません。しかし、私の実感として漁村の働く高齢者は健康な人が多いように思えます。また、少ない例ですが、私のいた漁村で亡くなった方は、亡くなるまでの期間が短く、長期の入院生活を経てからの方はいませんでした。

国家財政において高齢者医療費は大きな負担となっています。また、生活保護費の伸びも高齢者層の増加がその要因とも言われています。人のために役立つ以前に、人のお世話にならない、自分の力で生きていく「自立」、これも幸せを感じるために重要なことです。漁村にはそれを可能とする環境が整っていると思います。

エ 自分が手伝った魚や加工品を贈る喜び
 家族に対し、私ができることは現場での「美味しさ」を少しでも味わってもらうことです。新鮮な魚は無理ですが、例えばカキ、ノリ、ワカメなどは宅配便で送っても味は変わりません。特に家族が驚いたのは、本物の「焼海苔」の風味でした。ノリの原藻をすいて「黒海苔」を作る加工工程ではどうしても穴が開いたりした「ハネ」ができます。それをおじいさんが手であぶって「焼海苔」にしてくれたのですが、その香ばしさは、おそらく店で高級品を買っても味わうことは無理でしょう。その焼海苔を手に入れてからわが家族は、ほぼ毎日弁当のごはんの間にそれを敷き詰めたそうです。

 また、知り合いへの贈り物もそれまでは、店に売っている一般的なものが多かったのですが、現場に出てからは、自分が手伝った海産物に代わりました。何より、うれしいのはお礼の電話があった時に、今までであれば短い会話で終わりましたが、それを獲ったり、作ったりする過程の苦労話など話が尽きません。自分が直接手伝ったものを贈ることは、なにか自分の存在というものをこれほど強く伝えることができるものかと、ちょっとした満足感が味わえます。「結(ゆい)構想」が実現した時に、その贈り物によって、漁村で手伝うお爺さんやお婆さんと都会に住む家族とが、互いにより幸せな気持ちになれることは間違いないと思います。